ノルウェイの森

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見てきました。ネタバレ感想オッケーの方は続きからどうぞ。


映画作品としては上質だったと思う。映像も美しく、風景・ファッションなどの時代考証もきちんとなされていて無理がない。性的な言動を登場人物が多くするんだけど、それも俗物的ではなくどこか詩的(「勃起してる?」とか言わせちゃうんだけど、それが「ニーチェ読んでる?」と聞こえるくらいに会話が俗世間を超越していた)。素敵な映画だった。だけどこれは心身共に健康な人のみ楽しめる映画だよなー。どうしようもなく鬱になってしまう。登場人物全員が孤独で病んでいる。主人公のワタナベ(松山ケンイチ)は一見まともだけど、病的な人を引き寄せてしまう穏やかな孤独と同居している人でやっぱりどこか病んでいると言わざるをえない。とにかく劇中で人が死にすぎ。2時間ちょっとに4人もの人が死んでいく(うち3人自殺)とか尋常ではない。別に全員が天涯孤独な身というわけではなく、両親や兄弟はいるのだろう(そういう背景はあまり描かれていないけど)。なのにそういう肉親との関わり、心の交流というものは排除され、登場人物はみんな家族の匂いのしない場所で孤独の影を濃くしていく。血のつながりによるあたたかさを避けて生きている(ように見える)主人公(とその周囲の人たち)は肉体的な繋がりでしか人の体温を感じ取ることができない。肌と肌を密着させて相手の中に入り込むことで一体感を得て、孤独から抜け出したような気持ちになる。でもこんな鬱集団の映画なのに超絶美しいとか何事>< 40年くらい前の高度成長期の頃が舞台でファッションや建物・部屋の中に至るまできちんとその頃の雰囲気を出しているのにダサくない。逆にオシャレですらある。茶髪はいないしピアスしてる人もいない。でも70年代ファッションが逆に流行っている今だからこそなのかも。細身なストレートパンツでやや股上が深いデザインのものをきちんとベルトをし、シャツをインにしてはく。それだけで十分70年代風。細眉の人がいないのも徹底していてよかった。しゃべり方も昔の日本映画を見てるみたい。誰も語尾を曖昧にする話し方をせず、省略語(リア友だの写メだのその類の単語)を話す人もいない。携帯を手にしている人もいなくて、やりとりは電話と手紙が半々。ゆったりとした時間が流れていて、そこがこの映画の1番の良さだったのかもしれない。


まあ鬱映画には違いないんですが、登場人物はみんな芸達者で良かった。水原希子の演技をすごく心配してたんだけど、悪くなかった。うまくはないんだけど、奔放でしなやかでありながら一途な緑を好演していた。まわりからちょっと浮いた雰囲気があるんだけど、演技ができなくて浮いている感じが彼女の役柄のキャラと奇妙な一致を見たと言うか。それより何より松山ケンイチ玉山鉄二っすよ!いい!松ケンの白いおやじブリーフ姿が見られるのはこの映画だけ!日焼けしてない真っ白のお腹が文学青年ワタナベのイメージぴったり。変に鍛えられておらず(でも全く鍛えてないわけじゃなく、無駄なお肉はついていない)、20歳の青年の体そのもの。「もちろん」が口癖で、誰からのお願い事も決して否定せず「もちろん」と答える。優しいんだけど、熱は全くこもっておらずどこかひんやりとした肯定。「また会いにきてくれる?」「もちろん」「お父さんの病室にいてくれる?」「もちろん」「ポルノ映画に連れてってくれる?」「もちろん」。もちろんもちろんもちろん。夢に出てきそうな松ケンの「もちろん」。松ケンが静かな声で言う「もちろん」は最初優しく聞こえていたのに、どんどん突き放したように聞こえてきて、でもドMな方にはたまらない単語にw 玉鉄は外務省に就職が決まるイケメンエリート(松ケンとスワッ〇ングまでしてしまうほどの女好き)。玉鉄の昭和美男ぶりがハンパなし。彼の美しさを際立たせるためには平成じゃだめなのね。昭和じゃなきゃ!これからもこういう昭和映画に出まくってほしい。そして高良健吾はどうしてこういつも病んだ役なのか。赤西くんに恋する鬱ホ〇(BANDAGE)の次は自殺する鬱高校生って><(たまたま私がそういう役でしか見てないだけだけど)。彼の目はどこか暗い狂気をはらんでいて、美しいのにじっと見ているのが怖いかんじ。なんか暗いところにひきずりこまれそうになる。松ケンが鬱なのになぜかずっと画面を見させてくれる明るい鬱男なのとは対照的。あと、素晴らしい演技力だったんだけど菊池凛子に20歳の役は無理ありすぎ。正真正銘20歳の水原希子が出ているだけに肌の衰えが目立った。